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版間での差分

2007年11月16日 (金) 11:11の版

新義真言宗(しんぎしんごんしゅう)、近畿は宇陀(うだ)の地にある古刹・室生寺(むろうじ)をその本山に仰ぐ、そのうちの室生寺派(むろうじ-)の一ヶ寺、荘厳寺(しょうごんじ)は、大都市―東京・幡ヶ谷(はたがや)の町の一角にあって、その山号を光明山(こうみょうざん)と称し、あわせて院号を真言院と称し、御府内八十八ヶ所の一にして名高い不動(ふどう)―『幡ヶ谷不動(はたがやふどう)』をもってその名を知らしめている。

目次

歴史

荘厳寺の歴史は戦国時代と呼ばれる頃(西暦おおよそ1493~1573年)、宥悦法印なる者によって開かれた永禄六年(西暦1561年)に始まったものと伝えられている。

江戸時代(西暦おおよそ1600~1867年)も中期に差し掛かる頃には、その頃に幡ヶ谷村に移されてきた不動の堂―『幡ヶ谷不動堂』―を管理する別当寺となり、『御府内八十八ヶ所』が開創された宝暦年間(西暦1751~1764年)に至っては、守る不動がその札所に定められた。

近世も過ぎて近代になり、明治の代(西暦1868~1912年)にはそれまで守っていた不動堂が境内に移される。このことによって、寺号よりも『幡ヶ谷不動』との通称でより知られるようになった。

同代中には火災に遭い、更に昭和の戦災を受けたことで、伝わる文書や記録の多くを失うこととなった。そうして幾度かの再建を経てやがてのちの今日の姿に至っている。

伽藍

ほかの多くの市街とともに大都市―東京を形づくる渋谷区(しぶや-)。その西部にあって、その通称にて『幡ヶ谷』と呼び習わされる町は、そのほど近くに中野区(なかの-)、そして新宿区(しんじゅく-)との境を見据える。

市街を貫く山手通り(やまて-)から西に延びてゆく小路―その先の本町(ほんまち)の一角に置かれた山門。その手前すぐ右手に大きな不動堂―これすなわち『幡ヶ谷不動』―が座し、そこから左に参道が続く。

山門を入って奥へと進むと、住職の住まいたる庫裏(くり)、名僧・弘法大師(こうぼうだいし)―空海(くうかい)を祀る大師堂、そして本寺の本堂が迎え立つ。

書院へと向かうところの左には、木立を背にして、次のような一句を刻む俳聖・松尾芭蕉(まつおばしょう)の句碑がある。

暮れおそき四谷過ぎけり紙草履

『不動堂』

今に『幡ヶ谷不動尊』や『幡ヶ谷不動』の名で知られる像を安置する不動堂。

この像は比叡山・延暦寺(ひえいざん・えんりゃくじ)の第5世座主たる古の天台僧―智修大師・円珍(圓珍―えんちん)の作と伝えられるもので、平貞盛(たいらのさだもり)、藤原秀郷(ふじわらのひでさと)、武田信玄(たけだしんげん)、北条氏政(ほうじょううじまさ)、・・・などなど名のある数多の者たちの手に渡って各地を転々とし、江戸時代の中期にあたる延享四年(西暦1747年)に幡ヶ谷の地に鎮座、やがて本寺に安置されることとなった。

御府内八十八ヶ所の第11番札所、その真言は次のようなものである。

おん ころころ せんだり まとうぎ そわか

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所在

住所は東京都渋谷区本町2丁目44番3号にて、電話番号は03-3376-6991、最寄の電停は初台駅または西新宿五丁目駅。

資料