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2007年11月16日 (金) 15:15の版

福岡県の歴史豊かな県都・福岡市―その東区のある町に伽藍を据えるところの松月院(しょうげついん)というその寺は、その山号を明照山と称する浄土宗の一ヶ寺である。

画像:松月院 IMGP9792.JPG
ある晴れた冬の日の松月院

目次

歴史

その通史については、資料の少なさから、ここに詳らかにすることはできない。ただ明らかなのは、その開山が昭和5年(西暦1930年)で、法心なる者の開基によって開かれたということである。

福岡寺院探訪』の著者たる今田正昭が取材した時期―昭和63年(西暦1988年)~平成2年(西暦1990年)―でその住職は第2世であった。

伽藍

博多(はかた)の町の川向こう―途方もないほどの長い歴史を秘める旧官幣大社・筥崎八幡宮(はこざき-)からほど近くに広がる町。馬出(まいだし)というその町は、古い時代の面影を未だところどころに留め置きつつ、その随所に高く聳える公営住宅の影を見据えている。松月院はこの町の内の南部にあたる2丁目の一角にある。

画像:松月院 IMGP9800.JPG
境内の右隅に並ぶ石塔群。左右の大きなそれらの間には、『馬頭観世音菩薩』との銘のある小さなそれ―いわゆる『馬頭観音(ばとうかんのん)』が埋もれるように置かれている。向こうに聳え建つは改装中の市営馬出住宅。

九州大学病院とあわせてその医学部の広大な敷地の広がる市街地のさなか。小路の傍らで南に向けて開かれた山門を入ると、すぐさまその本堂に突き当たり、そこで参拝者は右手に何らかの石仏と墓碑らしきものを、左手に墓地へと続いた路を見る。

寺地は大光寺(だいこうじ)という真宗の寺とその北のほうで接しており、西に広がる墓地の向こうには『馬出保育園』という公立保育園、そして『馬出人権のまちづくり館』という公共施設がそれに接する。近くには宗玖寺、称名寺、妙徳寺などの古刹をはじめ、太古の時代からこの地に鎮座する翁別神社(おきなわけ-)という宮などなど、ある種の探訪人のその目を惹くであろう多くの事物が散在している。

そうした伽藍はその東方にこれまた高く聳える公営住宅―市営馬出住宅のうちの一棟を仰ぎ見ている。

余話

ある者が本寺に電話を掛けた際に、その者は本寺の坊守と思しき人からいささか気分の良くない対応を受けた。これにより、本寺の坊守と思しきその人はどうやら本寺を『自分の物』かなにかと考えているようだ―と、電話を掛けたそのある者はそのような感想を得るに至った。

この感想が的を突いたものであるならば、本寺の坊守と思しきその人は、宗教法人たる『寺』の国内法上の扱いが『公益法人』である(であるからして法人税が免除されているのだ)、ということについての理解が欠けてしまっていることになる。常日頃から同様の対応を行っているならば尚更である。

いずれにしてもこれはあくまで、その者がただ一度の電話を通して確認した、坊守と思しきその人のある一度の対応たるものに過ぎない。たとえそれが坊守と思しきその人の常日頃からの態度であったとしても、その者が本寺を訪れたときに目にした感じの良さそうな本寺の住職はそうでないものと信じたいものだ、とそのある者は考えたのであった。

所在

住所は福岡県福岡市東区馬出2丁目11番1号にて、電話番号は092-651-1872、最寄の電停は馬出九大病院前駅。

資料