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東京都は台東区の一角にある単立寺院、龍光山(りゅうこうざん)―正宝院(しょうぼういん)は、三高寺(さんこうじ)との号を称し、関東三十六不動霊場の第24番札所を、同時に下谷七福神の札所を兼ねつつ、古の時代の修験(しゅげん)に発する歴史をそこに伝える。

飛不動尊(とびふどうそん)との異称で知られもする本寺は、その本尊の立像の秘める逸話から、病魔の祓いや厄除けはもとより、『空の交通安全』の利益(りやく)で今にその名を知らしめている。

目次

歴史

時は室町時代(西暦1336~1573年)・・・修験道(しゅげんどう)の聖地たる熊野(くまの)―現在の和歌山県の南部と三重県の南部とにまたがる地域―から吉野(よしの)―現在の奈良県の南部―に連なる大峯山(おおみね-)で修行をしたのちに諸国を巡る旅をしていた正山という名の修験僧がいた。

その道中に江戸(えど)は竜泉(りゅうせん)の地に立ち寄り、地の村人に宿を施してもらった正山は、その夜に、一筋の光とともに立ち昇る龍の姿を夢に見た。不動(ふどう)の加護を象徴する龍の夢を見たということで、宿の世話になった村人たちの息災延命、そして自らの旅の安全を念じ、正山は不動を刻んでそれをこの地に奉安した。

正宝院の歴史はここに始まり、修験系天台宗(-てんだいしゅう)の単立寺院―正寶院として享禄三年(西暦1530年)に開かれたのであった。

正山の見た夢の姿に従って龍光山との、そして三高寺との号とともにそうして開かれた正宝院は、以来、旅人の守り本尊としての、同時に厄除けの祈願寺としての信仰を集めている。

飛不動尊の話

創建から間もなく。当時の住職が修行のためにと、本尊の不動を笈(おい)で背負って遥か大峯山にまで運んだときのことであった。

本尊が留守となってしまった正寶院では、不動の分身を携えた者たちが、離れた不動を案じながらに一心に祈っていた。すると、大峯山にあったかの不動が一夜にして江戸まで飛んで帰ってきて、祈っていたかの者たちの願いを叶えたのであるという。

このことから本尊たるかの不動は『飛不動尊』との異称で呼ばれもするようになった。江戸期の地図に見られる本寺は、その寺号(正宝院)よりも、この異称―『飛不動』―をもって記されていることが多いという。

時も下って航空が発達する時代になると、その仕事に携わる人々や旅行に出ようとする人々といった、飛行機を使う人々の参拝を集めるようにもなり、そうして航空安全と道中安泰の祈りを受けるようになった。

この不動の縁日は月の28日にて、その開帳は12年ごとの酉(とり)の歳に行われている。

余話

『飛不動尊』ということもあって、航空安全と道中安泰を特に祈願した『飛行護』なるお守りを授与しているという。更に、『航空安全』―すなわち『落ちない』という語呂から、受験の合格を祈願する参拝者も訪れるそうである。

資料

所在と交通

住所は東京都台東区竜泉3丁目11番11号にて、電話番号は03-3872-3311、最寄の電停は東京地下鉄日比谷線三ノ輪駅。

わずか東に竜泉郵便局、西に大音寺、西徳寺、その更に西に正燈寺、南に田甫酉ノ寺、鷲神社、吉原神社、千束児童館などがある。

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