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2007年11月29日 (木) 01:17の版

その山号を持地山と称す曹洞宗(そうとう-)の一ヶ寺―正覚寺(しょうかくじ)というその寺は、釈迦如来(しゃかにょらい)をその本尊に拝し、数多の寺々とともに久留米(くるめ)の寺町(てらまち)を形作っている。

画像:正覚寺 IMGP9270.JPG
冬のある日のその伽藍

目次

歴史

本寺―正覚寺は、元は三潴郡(みづま-)の西牟田郷(にしむた-)―現福岡県筑後市西牟田―にあって水引地蔵を本尊としていた寺で、当地の領主・西牟田家綱の夫人の菩提所でもあった。

ところがその西牟田氏も没落。これにより天正15年(西暦1587年)に今の地に移転。のちに火災で焼失するも、千光寺(せんこうじ)―現福岡県久留米市山本町にある曹洞宗の古刹―の9世・吉収和尚を開基に招聘して寛永9年(西暦1632年)に再興した。今も当地―西牟田の流川区というところに御堂が現存しているという。

以上が寺伝であるが、俊虎という名の一向宗(いっこうしゅう―浄土真宗)の僧が元和7年(西暦1621年)に寺地を拝領し、明暦3年(西暦1657年)に有馬忠頼(ありまただより)に追放されて無住となり、のちに禅宗として再興された―とそのような一説もある。有馬忠頼とはすなわち久留米藩の代2代藩主であるが、明暦3年といえば―この氏が没した2年後のことである。

近世も終焉の迫る頃―嘉永5年(西暦1852年)の4月には、玉潤という和尚によって本堂が再建された。
画像:正覚寺 IMGP9257.JPG
嘉永5年(西暦1852年)の再建であるというその本堂
有栖川宮家から許可された十六葉菊の紋章を鬼瓦や軒瓦などに用いたという。

伽藍

やがては有明海(ありあけ-)に流れ込み果てる『筑紫次郎』―筑後川。その流れを市域の北のほうに湛える久留米は、数々の周囲の町村の併合によって幾度も拡大しながらも、その中心と言えようところは、今も往代の歴史の痕跡をそこかしこに留める。

『福岡県久留米市寺町』―今や公式の住所となっているこの町は、その名の通り、様々な宗旨の寺々がそこに軒を連ね、それらそれぞれの歩んできた歴史を―その痕跡を今に伝えている。

医王寺、少林寺、遍照院、千栄寺、誓行寺、浄顕寺、心光寺、宗安寺、本泰寺、真教寺西方寺妙正寺、妙蓮寺、妙善寺、善福寺、徳雲寺、そして持地山―正覚寺。

ちょうど同宗の千栄寺と伽藍を向かい合い、日蓮宗の妙善寺と浄土真宗の妙蓮寺とに挟まれたところに佇むその境内は、この寺町の小路に向かって西へとその三門を開いている。
画像:正覚寺 IMGP9260.JPG
境内に散在する石仏
左右に石柱を立てたこの三門を入ると、墓石が左手に並び、細い参道はそのまま『三界萬霊』と刻む石仏を前に据え置く山門へと続く。

この山門を入りその参道は、庫裏を右手に、『寂光堂』という、納骨堂らしき建物を左手に見て、やがては本堂に突き当たる。

寺宝

  • 隠元書扁額
  • 有馬頼咸の書簡
  • 山口篤斎の涅槃像図

所在

住所は福岡県久留米市寺町72にて、電話番号は0942-33-4793、最寄の電停は櫛原駅。

資料