Azad
Azad(アザド/またはドイツ語読みでアザト)―本名をアザード・アザードプール(Azad Azadpour)というこの男は、ドイッチャー・ヒップホップ(Deutscher Hip-Hop)―すなわちドイツのヒップホップの歴史にひとつの記録を刻み付けもした、この欧州の国にあってクルドの血を引くラッパーである。
西暦1974年―1月1日―アザード、のちのアザドは、中東の地の一角はペルシア・イランの西の外れに位置するサナンダジ(Sanandadsch)という町に生まれた。コルデスターン(Kordistan)という地域―その住民の多くをクルド人が占める―そんなこの町にクルド人の子として生まれたアザドは、クルドの言葉で『自由』を意味するその名―Azad―を授かり、やがていつしか難民として―まだ子供のうちに―ドイツの地を踏むのである。
1984年―20歳のときにブレイクダンスと出会ったことで、ヒップホップを取り巻く文化に初めて触れることになった。やがてアジアティック・ウォーリアーズ(Asiatic Warriors)という、英語、ドイツ語、トルコ語の飛び交う、過激な主張を伴うヒップホップ集団の一員となり、これが解散してのちにソロのラッパーとしての経歴を始動。同時にヴァールハイト(Warheit)というグループを組む。このヴァールハイトは、ドイツのヒップホップ史上初めて音楽チャートにその名を見せたシングル―それを発したグループであった。
そんなサヴァスは、2003年に発した初シングルの"A"以降、ドイツ語圏の音楽チャートに数多の楽曲を登場させている。なかでも、クール・サヴァスと組んで2005年に発した"オール・フォー・ワン"(All 4 One)はスイスのチャートで85位、オーストリアのチャートで24位、ドイツのチャートで4位。ポップシンガーのアデル・タヴィル(Adel Tawil)と組んで2007年に発した"プリズン・ブレイク・アンセム(イッヒ・グラウブ・アン・ディッヒ)"(Prison Break Anthem (Ich Glaub An Dich))は、スイスのチャートで13位、オーストリアのチャートで12位、ドイツのチャートで1位を奪取。更に2001年の『レーベン』(Leben)以降、数多のアルバムを音楽チャートに送り出している。
21世紀のその初頭に勃興の時を見てからというもの、そのLPは2007年までに通算8枚。東方の民―山岳の民―その苦難の個人史を内に秘めつつ、今日もドイツのフランクフルトを根城に、ドイッチャー・ヒップホップの舞台にその名を知らしめ続けるのだ。
LP
- 1994年 : Told Ya 〔アジアティック・ウォーリアーズ〕
- 2001年 : Leben
- 2003年 : Faust des Nordwestens
- 2004年 : Der Bozz
- 2005年 : One 〔共Kool Savas〕
- 2006年 : Game Over
- 2007年 : Betonklassik 〔Warheit〕
- 2007年 : Blockschrift