Kool Savas
Kool Savas(クール・サヴァス)―本名をサヴァス・ユルデリ(Savaş Yurderi)というその男は、ドイツのヒップホップ界にうごめく数多の兵(つわもの)たちのなかにあって、最も影響力のある部類のラッパーとしてその名を馳せる。
トルコ語で『戦争』という意味の名前―Savaş―を有するサヴァスは、その名の通り、ドイツで最もメジャーなマイノリティ―トルコ人移民の両親のもと、西暦1975年2月10日にドイツの西の外れの都市―アーヘン(Aachen)に生まれた。
ちょうど1歳のときに家族とともにトルコに戻るも、政治活動を原因として父が逮捕されてしまったため、母とともに生地アーヘンに強制送還されることになった。それからおおよそ10年の時を経て家族が再会した1987年に、この国の首都―ベルリンに移る。そしてこの町でラップに出会うのである。
そのラッパーとしての経歴が始動したのは、"ヴァルーム・ラップスト・ドゥ?"(Warum rappst du?―『なぜラップをする?』)の録音からだった。"シュヴール・ラッパー"(Schwule Rapper―『ホモラッパー』)、"LMS"(『俺のを舐めろ』)、"ピンプレジオネァ"(Pimplegionär―『ポン引き軍団兵』)などの楽曲が、その物議を醸したリリックとともに注目を集める。
その黎明期には、ベーシック・エレメンツ(Basic Elements)などのグループを組んだうえで、英語でラップをやっていた。M.O.R.("Masters of Rap")やヴェストベァリン・マスクリン(Westberlin Maskulin)などといった、ともにオルタナティブ・ヒップホッパーのタクトロス(Taktloss)と組んだグループで成功を収める。2001年にそれまで所属していたプット・ダ・ニードル・トゥ・ダ・レコーズ(Put Da Needle To Da Records)を去り、M.O.R.を解散した。
2002年にオプティク・レコーズ(Optik Records)というレコードレーベルを発起し、初ソロアルバムの『デァ・ベシュテ・ターク・マイネス・レーベンス』(Der beste Tag meines Lebens―『人生最高の日』)を放つ。それからというもの毎年毎年複数枚のシングルをリリースし、それらの楽曲のうちの多くがドイツの音楽チャートに現れている。
同じくトルコ人の血を引くラッパーのエコ・フレッシュを見い出したのはサヴァスである。2004年には、かつての弟子であったそのエコ・フレッシュに、その楽曲―"ディ・アプレヒヌング"(Die Abrechnung)でディスられ、その翌年に放ったSP―"ダス・ウルタイル"(Das Urteil)をもって、それへの返答としてエコ・フレッシュとそのレーベルをディスした。
LP
- 1999年 : Westberlin Maskulin - Hoes, Flows, Moneytoes (共Taktlo$$)
- 2000年 : Westberlin Maskulin - Battlekings (共Taktlo$$)
- 2001年 : Masters of Rap - NLP (共Fumanschu/Justus Jonas/他)
- 2002年 : Der beste Tag meines Lebens
- 2003年 : Freunde der Sonne - Nur Noch 24 Stunden (共Illmatic/Katch Money/DJ Release)
- 2005年 : ONE (共Azad)
- 2007年 : Tot oder lebendig