Sido
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- | 髑髏<small>(どくろ)</small> | + | 髑髏<small>(どくろ)</small>を模した銀の覆面―そんなトレードマークで広く知られる“'''Sido'''”(シドー)という名のドイツのラッパー<small>〔1980年11月30日生〕</small>は、その攻撃的かつ挑発的なリリック<small>(詩)</small>をして高き悪名を轟かせしめ、相棒の[[B-Tight]]を始めとする[[アグロ・ベルリン]]のラッパーたちに同じく、しばしば論争の的となる。 |
[[画像:Sido.jpg|thumb|right|300px|Sido ~ その素の肖像]] | [[画像:Sido.jpg|thumb|right|300px|Sido ~ その素の肖像]] | ||
- | + | ドイツ人とインド人とのハーフで本名を“パオル・ヴュルディヒ”<small>(Paul Würdig)</small>というこの男は、そのデビューアルバムをインディーズながら18万枚以上も売り上げ、まさにデビュー間もないその年の夏にいきなりドイツの名門音楽賞の新人賞を奪取。『マスケ』<small>(Maske/「覆面」)</small>と題したこのLPは、ドイツの音楽チャートで3位を記録し、同じドイツ語圏のオーストリアのそれで46位を、さらにはスイスのチャートで79位を記録し、その名の認知を急激に押し上げた。 | |
- | + | このアルバムの4トラック目に“マイン・ブロック”<small>(Mein Block)</small>という楽曲がある。あらかじめシングル盤としてリリースした楽曲でもあるこのトラックは、自身の生まれたベルリン―その北部郊外にあるメルキッシェス・フィーアテル<small>(Märkisches Viertel)</small>という町の日常―酒、麻薬、そして犯罪―貧困に打ちひしがれたその町の日々を、刺激に満ちたリリックをもって歌ったものである。そう、シドーは相棒のB-Tightとともに、この灰色の町―メルキッシェス・フィーアテルで育ったのだ。 | |
- | + | この相棒とふたりで“A.i.d.S”という名のデュオを組んでもいるシドーは、このデュオで数多の楽曲を世に送り出すとともに、単独でもって数多のラッパーらの―特に在籍レコードレーベルであるアグロ・ベルリンの仲間たちによる膨大な数のトラック群に参加しその名を連ね、ソロのほうでも初シングルの"マイン・ブロック"に始まり数多くのシングルをチャート入りさせている。そして2006年の暮れに発表されたプロズィーベン<small>(ProSieben/ドイツのテレビチャンネル)</small>による調査「最もわずらわしいドイツ人100人」で3位に選ばれるなど、まさに名実揃えた人気ラッパーである。 | |
[[画像:Sido Maske.jpg|thumb|left|250px|Sido ~ その髑髏の面を頭に]] | [[画像:Sido Maske.jpg|thumb|left|250px|Sido ~ その髑髏の面を頭に]] | ||
- | そんなシドーの2枚目のアルバムとなるLPは、デビュー盤の発表から2年後にあたる2006年にリリースされた。『イッヒ』<small>(Ich)</small> | + | そんなシドーの2枚目のアルバムとなるLPは、デビュー盤の発表から2年後にあたる2006年にリリースされた。『イッヒ』<small>(Ich)</small>と題したこのアルバムは、ドイツの音楽チャートで4位、オーストリアのそれで18位、スイスのそれで19位を記録した一枚で、その内に“アイン・タイル・フォン・ミーア”<small>(Ein Teil von mir)</small>というトラックを収めている。翌年にシングル盤として世に送り出して国内チャートで1位に上ったこの楽曲“アイン・タイル・フォン・ミーア”―は、一児の父でもあるシドーが、その息子に捧げたものであるという。 |
それより遡ること7年前―ちょうど19歳であった2000年―、当時の婚約相手との間に生まれたのがその息子で、その妊娠が判明したと同時期に、ふたりはどうしたわけかその婚約を解消した。それ以来その息子に一度も会いにいったことがなかったシドーは、このトラックのリリックのうちでそのことについて謝るのである。 | それより遡ること7年前―ちょうど19歳であった2000年―、当時の婚約相手との間に生まれたのがその息子で、その妊娠が判明したと同時期に、ふたりはどうしたわけかその婚約を解消した。それ以来その息子に一度も会いにいったことがなかったシドーは、このトラックのリリックのうちでそのことについて謝るのである。 | ||
- | ギャングスタ・ラッパーらしくディスも欠かさず、2007年に至っては、ロックバンドのリンキン・パーク<small>(Linkin Park)</small>や、マイク・シノダ<small>(Mike Shinoda)</small>の手によるヒップホップ集団―フォート・マイナー<small>(Fort Minor)</small> | + | ギャングスタ・ラッパーらしくディスも欠かさず、2007年に至っては、ロックバンドのリンキン・パーク<small>(Linkin Park)</small>や、マイク・シノダ<small>(Mike Shinoda)</small>の手によるヒップホップ集団―フォート・マイナー<small>(Fort Minor)</small>をMTVドイツのテレビ番組で激しく批判。さらに同年の共作“カイナー・カン・ヴァス・マッヒェン”<small>(Keiner kann was machen)</small>では、相棒のB-Tightらと組んで、かつてのアグロ・ベルリンの仲間であった[[Bushido]]をディス。 |
- | + | “'''s'''uper-'''i'''ntelligentes '''D'''rogen'''o'''pfer”<small>(超利口な薬物犠牲者)</small>、時に“'''S'''cheisse '''i'''n '''D'''ein '''O'''hr”<small>(クソをあなたの耳へ)</small>―自らを“ネガー”<small>(Neger/「黒んぼ」)</small>と呼ぶこの男の“アグロ”<small>(攻撃的)</small>な日々は落ち着きを見せる暇もなく、その歴史を刻み始めてほどなくのドイッチャー・ヒップホップ<small>(Deutscher Hip-Hop)</small>の世界に今日も君臨し続けている。 | |
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+ | ==要聴== | ||
+ | この男の世界観を手っ取り早く理解するには―おそらくは“ゴールドユンゲ”<small>(Goldjunge)</small>というトラック―2枚目のLP『イッヒ』の第2トラックにあたるこの楽曲が最適だろうか。それはまさしく他人を小馬鹿にしたような―道ゆく人の目の前に現れ、両腕を広げて縦横左右に飛び跳ね回ってケラケラと笑っているような―なんとも挑発的なフロウ。 | ||
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+ | 2008年度の一発目となったSP―ドイツの音楽チャートで最高7位にまで上りもした“アウゲン・アウフ”<small>(Augen Auf)</small>もまた同様に、そのクリップの隅々にまで滲み行き渡る「茶化し」のフロウ。 | ||
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+ | そうした「普段のキャラ」を踏まえたうえで、同じLPに収録されている“アイン・タイル・フォン・ミーア”<small>(Ein Teil von mir)</small>―そう、遠く離れた息子に贈り捧げしものという―そのトラックを受けてみる。・・・なんだよこれはおい。いつものフロウはどうしたよ。おまえらしくねえぞシドーよ。おいクソ野郎。なんとか言えよこら。... | ||
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+ | 洒落たことしやがるじゃねえか。ちくしょう。・・・ | ||
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*2007年: Kettenreaktion (feat. Spezializtz) | *2007年: Kettenreaktion (feat. Spezializtz) | ||
*2007年: Weihnachtssong 2007 | *2007年: Weihnachtssong 2007 | ||
+ | *2008年: Augen Auf / Halt Dein Maul | ||
==資料== | ==資料== |
最新版
髑髏(どくろ)を模した銀の覆面―そんなトレードマークで広く知られる“Sido”(シドー)という名のドイツのラッパー〔1980年11月30日生〕は、その攻撃的かつ挑発的なリリック(詩)をして高き悪名を轟かせしめ、相棒のB-Tightを始めとするアグロ・ベルリンのラッパーたちに同じく、しばしば論争の的となる。
ドイツ人とインド人とのハーフで本名を“パオル・ヴュルディヒ”(Paul Würdig)というこの男は、そのデビューアルバムをインディーズながら18万枚以上も売り上げ、まさにデビュー間もないその年の夏にいきなりドイツの名門音楽賞の新人賞を奪取。『マスケ』(Maske/「覆面」)と題したこのLPは、ドイツの音楽チャートで3位を記録し、同じドイツ語圏のオーストリアのそれで46位を、さらにはスイスのチャートで79位を記録し、その名の認知を急激に押し上げた。
このアルバムの4トラック目に“マイン・ブロック”(Mein Block)という楽曲がある。あらかじめシングル盤としてリリースした楽曲でもあるこのトラックは、自身の生まれたベルリン―その北部郊外にあるメルキッシェス・フィーアテル(Märkisches Viertel)という町の日常―酒、麻薬、そして犯罪―貧困に打ちひしがれたその町の日々を、刺激に満ちたリリックをもって歌ったものである。そう、シドーは相棒のB-Tightとともに、この灰色の町―メルキッシェス・フィーアテルで育ったのだ。
この相棒とふたりで“A.i.d.S”という名のデュオを組んでもいるシドーは、このデュオで数多の楽曲を世に送り出すとともに、単独でもって数多のラッパーらの―特に在籍レコードレーベルであるアグロ・ベルリンの仲間たちによる膨大な数のトラック群に参加しその名を連ね、ソロのほうでも初シングルの"マイン・ブロック"に始まり数多くのシングルをチャート入りさせている。そして2006年の暮れに発表されたプロズィーベン(ProSieben/ドイツのテレビチャンネル)による調査「最もわずらわしいドイツ人100人」で3位に選ばれるなど、まさに名実揃えた人気ラッパーである。
そんなシドーの2枚目のアルバムとなるLPは、デビュー盤の発表から2年後にあたる2006年にリリースされた。『イッヒ』(Ich)と題したこのアルバムは、ドイツの音楽チャートで4位、オーストリアのそれで18位、スイスのそれで19位を記録した一枚で、その内に“アイン・タイル・フォン・ミーア”(Ein Teil von mir)というトラックを収めている。翌年にシングル盤として世に送り出して国内チャートで1位に上ったこの楽曲“アイン・タイル・フォン・ミーア”―は、一児の父でもあるシドーが、その息子に捧げたものであるという。
それより遡ること7年前―ちょうど19歳であった2000年―、当時の婚約相手との間に生まれたのがその息子で、その妊娠が判明したと同時期に、ふたりはどうしたわけかその婚約を解消した。それ以来その息子に一度も会いにいったことがなかったシドーは、このトラックのリリックのうちでそのことについて謝るのである。
ギャングスタ・ラッパーらしくディスも欠かさず、2007年に至っては、ロックバンドのリンキン・パーク(Linkin Park)や、マイク・シノダ(Mike Shinoda)の手によるヒップホップ集団―フォート・マイナー(Fort Minor)をMTVドイツのテレビ番組で激しく批判。さらに同年の共作“カイナー・カン・ヴァス・マッヒェン”(Keiner kann was machen)では、相棒のB-Tightらと組んで、かつてのアグロ・ベルリンの仲間であったBushidoをディス。
“super-intelligentes Drogenopfer”(超利口な薬物犠牲者)、時に“Scheisse in Dein Ohr”(クソをあなたの耳へ)―自らを“ネガー”(Neger/「黒んぼ」)と呼ぶこの男の“アグロ”(攻撃的)な日々は落ち着きを見せる暇もなく、その歴史を刻み始めてほどなくのドイッチャー・ヒップホップ(Deutscher Hip-Hop)の世界に今日も君臨し続けている。
目次 |
要聴
この男の世界観を手っ取り早く理解するには―おそらくは“ゴールドユンゲ”(Goldjunge)というトラック―2枚目のLP『イッヒ』の第2トラックにあたるこの楽曲が最適だろうか。それはまさしく他人を小馬鹿にしたような―道ゆく人の目の前に現れ、両腕を広げて縦横左右に飛び跳ね回ってケラケラと笑っているような―なんとも挑発的なフロウ。
2008年度の一発目となったSP―ドイツの音楽チャートで最高7位にまで上りもした“アウゲン・アウフ”(Augen Auf)もまた同様に、そのクリップの隅々にまで滲み行き渡る「茶化し」のフロウ。
そして。
そうした「普段のキャラ」を踏まえたうえで、同じLPに収録されている“アイン・タイル・フォン・ミーア”(Ein Teil von mir)―そう、遠く離れた息子に贈り捧げしものという―そのトラックを受けてみる。・・・なんだよこれはおい。いつものフロウはどうしたよ。おまえらしくねえぞシドーよ。おいクソ野郎。なんとか言えよこら。...
洒落たことしやがるじゃねえか。ちくしょう。・・・
D
共作やA.i.d.Sのそれは除く。
LP
- 2004年: Maske
- 2006年: Ich
- 2007年: Eine Hand wäscht die Andere
SP
- 2004年: Mein Block
- 2004年: Weihnachtssong
- 2004年: Arschficksong
- 2004年: Fuffies im Club
- 2005年: Mama ist stolz + Limitierte Punkrock-Version
- 2005年: Steh wieder auf
- 2006年: Wahlkampf (feat. G-Hot)
- 2006年: Straßenjunge
- 2006年: Weihnachtssong 2006
- 2007年: Ein Teil von mir
- 2007年: Schlechtes Vorbild
- 2007年: Wir reissen den Club ab (feat. Hecklah & Coch)
- 2007年: Kettenreaktion (feat. Spezializtz)
- 2007年: Weihnachtssong 2007
- 2008年: Augen Auf / Halt Dein Maul
資料
- Sido (rapper) - English Wikipedia
- Sido - Biography - IMDb
- Sido - Deutschsprachige Wikipedia
- Aggro Berlin(2008年2月17日) - Urban Dictionary