Bushido
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- | '''{{fcn|w=Bushido}}'''(ブシドー)―本名'''{{fcn|w=Anis Mohamed Youssef Ferchichi}}''' | + | '''{{fcn|w=Bushido}}'''(ブシドー)―本名'''{{fcn|w=Anis Mohamed Youssef Ferchichi}}'''(アーニス・モハメド・ヨーゼフ・フェルチチ)<sub>〔1978年9月28日生〕</sub>―そのイスラムの血を引くドイツのラッパーは、'''{{fcn|w=Sonny Black}}'''(ソニー・ブラック)との異称を携える、この国のヒップホップ(Deutscher Hip-Hop)界の並居るラッパー達の中でも明らかに別格の存在感を放つ男だ。 |
- | 遥か彼方の異国<sub>―日本―</sub> | + | 遥か彼方の異国<sub>―日本―</sub>の気高き戦士達の魂<sub>―武士道(ぶしどう)―</sub>を冠してその名前としたこのMC―ブシドーは、この国―ドイツのテレビなどといったマスメディアの舞台に姿を現すことはほとんどなきながらも、いわゆる生粋のドイツ人から移民までを含めた若者達の間でとにかく絶大な人気を誇り、一種の若きカリスマとも言えよう存在としてドイツ語圏<sub>―ドイツ連邦共和国/オーストリア共和国/スイス連邦/リヒテンシュタイン侯国およびその周辺―</sub>のヒップホップ界に君臨している。 |
[[画像:Bushido 1231115845.jpg|thumb|right|400px|街路の壁に描写されたその肖像 ~ ベルリン]] | [[画像:Bushido 1231115845.jpg|thumb|right|400px|街路の壁に描写されたその肖像 ~ ベルリン]] | ||
==来歴== | ==来歴== | ||
===幼少期=== | ===幼少期=== | ||
- | + | アーニス―のちのブシドーは、西暦1978年―チュニジア系移民の父とドイツ人の母との間にドイツのボンに生まれた。父の背景<sub>(チュニジア系であったことなど)</sub>を知ったのは26歳のときであったという。 | |
- | 旧西ドイツにあたるベルリン南部の[[テンペルホーフ]]にて母のもとで育ったブシドーは、ギムナジウム<sub> | + | 旧西ドイツにあたるベルリン南部の[[テンペルホーフ]]にて母のもとで育ったブシドーは、ギムナジウム<sub>(日本の中高にあたる)</sub>に進むも早々に中退し、薬物や破壊行為を繰り返しながら数多の犯歴を重ねていった。 |
- | 刑期中に塗装業の職業訓練に赴くよう裁判官に命じられ、その期間中にはのちにラッパーとして組むことになる | + | 刑期中に塗装業の職業訓練に赴くよう裁判官に命じられ、その期間中にはのちにラッパーとして組むことになる[[Fler|フレア]]と出会う。そしてヒップホップと出会い、そこに{{fcn|w="Bushido"}}の興りを見るのである。 |
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- | + | ラッパーとしてのブシドーの活動が本格的に始まったのは1999年の頃だった。King Orgasmus One(<small>キング・オルガスムス・オーネ</small><sub>(ドイツ語読み)</sub>)のレーベル<small>―アイ・ラヴ・マネー・レコーズ(I Luv Money Records)―</small>において『デモテープ<small>(Demotape)</small>』という名のアルバムを制作。やがて2001年にLPテープ『キング・オブ・キングズ<small>(King of KingZ)</small>』を制作する。ほどなくして、発起したばかりのレコードレーベル『[[アグロ・ベルリン]]』に移籍した。 | |
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- | 2003年に自身初のCD- | + | 2003年に自身初のCD-LPとなる『キング・オブ・キングズ』を発表。これは2001年に出した同作を再録したものである。更にアルバム『フォム・ボルトシュタイン・ビス・ツア・スカイライン<small>(Vom Bordstein bis zur Skyline)</small>』をリリース。このアルバムはアンダーグラウンドの世界にあっては大変といえるほどの成功を収めることになった。 |
- | + | 年を越えて2004年の夏になると、DJイーラン(<sub>DJ Ilan―ラムシュタイン(Rammstein)の"アメリカ(Amerika)"をプロデュースした人物</sub>)とともにアグロ・ベルリンを去り、同時にUMGに移籍。そして初のシングル―"エレクトロ・ゲットー<small>(Electro Ghetto)</small>"を発表。ほどなくして"ニー・ヴィーダー<small>(Nie wieder)</small>"を発表し、ファーストシングルと同名のLP―『エレクトロ・ゲットー』を発表した。このアルバムはドイツのチャートにも登場し、ついには6位にまで駆け上がる。 | |
- | + | 2005年にはその活動も加速し、4枚目のLPとなる『カルロ・コックス・ヌッテン・2<small>(Carlo, Cokxxx, Nutten 2)</small>』をババ・サード<small>(Baba Saad)</small>と組んでリリース。ソウル/R&Bシンガーのカサンドラ・シュテーン<small>(Cassandra Steen)</small>とともに"ホフヌング・シュティアプト・ツーレツト<small>(Hoffnung stirbt zuletzt)</small>"を、続けて、"シュメッターリング<small>(Schmetterling)</small>"を、ババ・サードとともに"ニー・アイン・ラッパー<small>(Nie ein Rapper)</small>"を、更に"ワールドワイド<small>(Worldwide)</small>"、"エンドゲーグナー<small>(Endgegner)</small>"といった、5枚のシングルを発表。あわせてCDとしては4枚目のアルバムになる『シュターツファイント ヌンメァ.アインス<small>(Staatsfeind Nr. 1)</small>』を発表。ドイツのチャートで4位を記録した。 | |
- | 2006年には自身の単作とあわせて、 | + | 2006年には自身の単作とあわせて、[[Eko Fresh|エコ・フレッシュ]]やチャクザ<small>(Chakuza)</small>などのラッパー達と組み、"ゲッドー<small>(Gheddo)</small>"や"ヴェンデッタ<small>(Vendetta)</small>"といった楽曲を発表。そして通算5枚目となる単作LP―『フォン・デァ・スカイライン・ツム・ボルトシュタイン・ツーリュック<small>(Von der Skyline zum Bordstein zurück)</small>』を発表し、とうとうドイツのチャートで1位を記録する。この年にはECHO<sub>(ドイツ最高の音楽賞)</sub>のライブ部門<small>(Live-Act)</small>を受賞し、MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード<sub>(MTV Europe Music Award/ヨーロッパ最大の音楽賞)</sub>のドイツ人部門<small>(Best German Act)</small>をもあわせて受賞することになった。更にはインターネットにおいて、ヤフー!ドイッチュラント<sub>(Yahoo! Deutschland―検索エンジン・ヤフーのドイツ語版)</sub>の単語別年間検索回数ランキングの男性スター部門で1位に躍り出る[http://de.docs.yahoo.com/top2006/]。 |
- | 翌2007年には、 | + | 翌2007年には、"アレス・フェアローレン<small>(Alles Verloren)</small>"や、チャクザと組んだ"オイレ・キンダー<small>(Eure Kinder)</small>"などの楽曲を収めたLP―『7』をリリースし、またもドイツのチャートで1位を記録。前年に続いてECHOの今度はヒップホップ/R&B部門を受賞し、MTVヨーロッパ・ミュージック・アワードの同部門を再受賞。前年に同じくヤフー・ドイツでは単語別年間検索回数ランキングの男性スター部門の1位にその名があった[http://de.docs.yahoo.com/top2007/]。 |
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- | その過激なリリック | + | その過激なリリック<small>(lyric―詩)</small>はしばしば論争の対象となる。特に同性愛者に対する攻撃<sub>―ホモフォビー(homophobie)―</sub>や女性蔑視<sub>―ミソジニー(misogynie)―</sub>の傾向(と論者が見做すもの)についてである。もっとも、これはブシドーが、というよりは、ヒップホップそれ自体に色濃いものであり、本元―アメリカ合衆国のヒップホップもまさしくこの傾向を有している。 |
- | + | その本元のヒップホップは歴史的にアフリカン・アメリカンが先導しているが、ドイッチャー・ヒップホップで最も大きな影響力を持つと言われる[[Kool Savas|クール・サヴァス]]や、しばしばブシドーと組みもする[[Eko Fresh|エコ・フレッシュ]]、ブシドーに同じくCDチャートのトップに現れもする[[Azad|アザド]]をはじめ、ドイッチャー・ヒップホップのうねりはこうしたアラブ系の移民の血を引く者たちが先導しているように見える<sub>―ちなみにクール・サヴァスとエコ・フレッシュは、同じイスラムでもブシドーとは違い、トルコ人移民の子―アザドはクルド系イラン人移民の子―</sub>。とりわけ政治的なメディアはこうした移民達については(従来からの住民達との)対立の構造ばかりに着目したがるが、前世紀の政治的議論の焼き直しに過ぎないそうした枠組みで『今』を語るのはもはや不毛のようだ。ブシドーを前にすれば、ナチ・スキンヘッド(<small>Nazi Skinhead</small><sub> ネオナチ</sub>)の青年達ですら歓喜を上げてサインを求めてしまうのだから[http://www.spiegel.de/international/0,1518,372051,00.html]。 | |
私生活はこれまたラッパーらしく荒れており、数多の前科を保持。2005年の夏にはオーストリアの大都市―リンツで傷害事件を起こし、15日間にわたって拘留されたのち、保釈金を払ってシャバに帰ってきた。 | 私生活はこれまたラッパーらしく荒れており、数多の前科を保持。2005年の夏にはオーストリアの大都市―リンツで傷害事件を起こし、15日間にわたって拘留されたのち、保釈金を払ってシャバに帰ってきた。 | ||
- | ヒップホップの本元―アメリカのギャングスタ・ラップ | + | ヒップホップの本元―アメリカのギャングスタ・ラップ<small>(Gangsta rap)</small>からの強い影響がしばしば指摘されるが、その世界観は純粋なギャングスタ・ラップとはどこか―明らかに異質である。ゴシック<small>(Gothic)</small>的な世界観を感じさせもする"アレス・フェアローレン"を例にとれば―哀しみを帯びたような―どこか儚げな雰囲気を醸すのだ。 |
男―ブシドー自身の世界観の反映なのか。 | 男―ブシドー自身の世界観の反映なのか。 | ||
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- | * | + | *Demotape/1999年 |
- | * | + | *King of KingZ/2001年 |
- | * | + | *Vom Bordstein bis zur Skyline/2003年 |
- | * | + | *Electro Ghetto/2004年 |
- | * | + | *Staatsfeind Nr. 1/2005年 |
- | * | + | *Von der Skyline zum Bordstein zurück/2006年 |
- | * | + | *7/2007年 |
- | * | + | *Das Beste/2007年 |
- | ==== | + | ====CLP==== |
- | * | + | *030/キング・オルガスムス&ヴァーデル(Vader)/1998年 |
- | * | + | *Carlo, Cokxxx, Nutten/[[Sido|シドー]]&[[B-Tight|ビー・タイト]]/2002年 |
- | * | + | *Aggro Ansage Nr. 1/シドー&ビー・タイト/2002年 |
- | * | + | *Aggro Ansage Nr. 2/シドー&ビー・タイト/2003年 |
- | * | + | *Aggro Ansage Nr. 3/シドー&ビー・タイト/2003年 |
- | * | + | *Carlo, Cokxxx, Nutten 2/ババ・サード/2005年 |
- | * | + | *Ersguterjunge Sampler Vol. 1 - Nemesis/多数/2006年 |
- | * | + | *Ersguterjunge Sampler Vol. 2 - Vendetta/多数/2006年 |
- | * | + | *Ersguterjunge Sampler Vol. 3 - Alles Gute kommt von unten/多数/2007年 |
- | === | + | |
- | * | + | ===SP=== |
- | * | + | *Electro Ghetto/2004年 |
- | * | + | *Nie wieder/2004年 |
- | * | + | *Hoffnung stirbt zuletzt/共カサンドラ・シュテーン/2005年 |
- | * | + | *Schmetterling/2005年 |
- | * | + | *Nie ein Rapper/共ババ・サード/2005年 |
- | * | + | *Worldwide/2005年 |
- | * | + | *Endgegner/2005年 |
- | * | + | *Augenblick/2006年 |
- | * | + | *Gheddo/共[[Eko Fresh|エコ・フレッシュ]]/2006年 |
- | * | + | *Von der Skyline zum Bordstein zurück/2006年 |
- | * | + | *Sonnenbank Flavour/2006年 |
- | * | + | *Vendetta/共チャクザ&[[Eko Fresh|エコ・フレッシュ]]/2006年 |
- | * | + | *Janine/2007年 |
- | * | + | *Eure Kinder/共チャクザ/2007年 |
- | * | + | *Alles Verloren/2007年 |
+ | *Reich mir nicht deine Hand/2007年 | ||
==資料== | ==資料== |
最新版
Bushido(ブシドー)―本名Anis Mohamed Youssef Ferchichi(アーニス・モハメド・ヨーゼフ・フェルチチ)〔1978年9月28日生〕―そのイスラムの血を引くドイツのラッパーは、Sonny Black(ソニー・ブラック)との異称を携える、この国のヒップホップ(Deutscher Hip-Hop)界の並居るラッパー達の中でも明らかに別格の存在感を放つ男だ。
遥か彼方の異国―日本―の気高き戦士達の魂―武士道(ぶしどう)―を冠してその名前としたこのMC―ブシドーは、この国―ドイツのテレビなどといったマスメディアの舞台に姿を現すことはほとんどなきながらも、いわゆる生粋のドイツ人から移民までを含めた若者達の間でとにかく絶大な人気を誇り、一種の若きカリスマとも言えよう存在としてドイツ語圏―ドイツ連邦共和国/オーストリア共和国/スイス連邦/リヒテンシュタイン侯国およびその周辺―のヒップホップ界に君臨している。
目次 |
来歴
幼少期
アーニス―のちのブシドーは、西暦1978年―チュニジア系移民の父とドイツ人の母との間にドイツのボンに生まれた。父の背景(チュニジア系であったことなど)を知ったのは26歳のときであったという。
旧西ドイツにあたるベルリン南部のテンペルホーフにて母のもとで育ったブシドーは、ギムナジウム(日本の中高にあたる)に進むも早々に中退し、薬物や破壊行為を繰り返しながら数多の犯歴を重ねていった。
刑期中に塗装業の職業訓練に赴くよう裁判官に命じられ、その期間中にはのちにラッパーとして組むことになるフレアと出会う。そしてヒップホップと出会い、そこに"Bushido"の興りを見るのである。
"Bushido"
ラッパーとしてのブシドーの活動が本格的に始まったのは1999年の頃だった。King Orgasmus One(キング・オルガスムス・オーネ(ドイツ語読み))のレーベル―アイ・ラヴ・マネー・レコーズ(I Luv Money Records)―において『デモテープ(Demotape)』という名のアルバムを制作。やがて2001年にLPテープ『キング・オブ・キングズ(King of KingZ)』を制作する。ほどなくして、発起したばかりのレコードレーベル『アグロ・ベルリン』に移籍した。
2003年に自身初のCD-LPとなる『キング・オブ・キングズ』を発表。これは2001年に出した同作を再録したものである。更にアルバム『フォム・ボルトシュタイン・ビス・ツア・スカイライン(Vom Bordstein bis zur Skyline)』をリリース。このアルバムはアンダーグラウンドの世界にあっては大変といえるほどの成功を収めることになった。
年を越えて2004年の夏になると、DJイーラン(DJ Ilan―ラムシュタイン(Rammstein)の"アメリカ(Amerika)"をプロデュースした人物)とともにアグロ・ベルリンを去り、同時にUMGに移籍。そして初のシングル―"エレクトロ・ゲットー(Electro Ghetto)"を発表。ほどなくして"ニー・ヴィーダー(Nie wieder)"を発表し、ファーストシングルと同名のLP―『エレクトロ・ゲットー』を発表した。このアルバムはドイツのチャートにも登場し、ついには6位にまで駆け上がる。
2005年にはその活動も加速し、4枚目のLPとなる『カルロ・コックス・ヌッテン・2(Carlo, Cokxxx, Nutten 2)』をババ・サード(Baba Saad)と組んでリリース。ソウル/R&Bシンガーのカサンドラ・シュテーン(Cassandra Steen)とともに"ホフヌング・シュティアプト・ツーレツト(Hoffnung stirbt zuletzt)"を、続けて、"シュメッターリング(Schmetterling)"を、ババ・サードとともに"ニー・アイン・ラッパー(Nie ein Rapper)"を、更に"ワールドワイド(Worldwide)"、"エンドゲーグナー(Endgegner)"といった、5枚のシングルを発表。あわせてCDとしては4枚目のアルバムになる『シュターツファイント ヌンメァ.アインス(Staatsfeind Nr. 1)』を発表。ドイツのチャートで4位を記録した。
2006年には自身の単作とあわせて、エコ・フレッシュやチャクザ(Chakuza)などのラッパー達と組み、"ゲッドー(Gheddo)"や"ヴェンデッタ(Vendetta)"といった楽曲を発表。そして通算5枚目となる単作LP―『フォン・デァ・スカイライン・ツム・ボルトシュタイン・ツーリュック(Von der Skyline zum Bordstein zurück)』を発表し、とうとうドイツのチャートで1位を記録する。この年にはECHO(ドイツ最高の音楽賞)のライブ部門(Live-Act)を受賞し、MTVヨーロッパ・ミュージック・アワード(MTV Europe Music Award/ヨーロッパ最大の音楽賞)のドイツ人部門(Best German Act)をもあわせて受賞することになった。更にはインターネットにおいて、ヤフー!ドイッチュラント(Yahoo! Deutschland―検索エンジン・ヤフーのドイツ語版)の単語別年間検索回数ランキングの男性スター部門で1位に躍り出る[1]。
翌2007年には、"アレス・フェアローレン(Alles Verloren)"や、チャクザと組んだ"オイレ・キンダー(Eure Kinder)"などの楽曲を収めたLP―『7』をリリースし、またもドイツのチャートで1位を記録。前年に続いてECHOの今度はヒップホップ/R&B部門を受賞し、MTVヨーロッパ・ミュージック・アワードの同部門を再受賞。前年に同じくヤフー・ドイツでは単語別年間検索回数ランキングの男性スター部門の1位にその名があった[2]。
様相
その過激なリリック(lyric―詩)はしばしば論争の対象となる。特に同性愛者に対する攻撃―ホモフォビー(homophobie)―や女性蔑視―ミソジニー(misogynie)―の傾向(と論者が見做すもの)についてである。もっとも、これはブシドーが、というよりは、ヒップホップそれ自体に色濃いものであり、本元―アメリカ合衆国のヒップホップもまさしくこの傾向を有している。
その本元のヒップホップは歴史的にアフリカン・アメリカンが先導しているが、ドイッチャー・ヒップホップで最も大きな影響力を持つと言われるクール・サヴァスや、しばしばブシドーと組みもするエコ・フレッシュ、ブシドーに同じくCDチャートのトップに現れもするアザドをはじめ、ドイッチャー・ヒップホップのうねりはこうしたアラブ系の移民の血を引く者たちが先導しているように見える―ちなみにクール・サヴァスとエコ・フレッシュは、同じイスラムでもブシドーとは違い、トルコ人移民の子―アザドはクルド系イラン人移民の子―。とりわけ政治的なメディアはこうした移民達については(従来からの住民達との)対立の構造ばかりに着目したがるが、前世紀の政治的議論の焼き直しに過ぎないそうした枠組みで『今』を語るのはもはや不毛のようだ。ブシドーを前にすれば、ナチ・スキンヘッド(Nazi Skinhead ネオナチ)の青年達ですら歓喜を上げてサインを求めてしまうのだから[3]。
私生活はこれまたラッパーらしく荒れており、数多の前科を保持。2005年の夏にはオーストリアの大都市―リンツで傷害事件を起こし、15日間にわたって拘留されたのち、保釈金を払ってシャバに帰ってきた。
ヒップホップの本元―アメリカのギャングスタ・ラップ(Gangsta rap)からの強い影響がしばしば指摘されるが、その世界観は純粋なギャングスタ・ラップとはどこか―明らかに異質である。ゴシック(Gothic)的な世界観を感じさせもする"アレス・フェアローレン"を例にとれば―哀しみを帯びたような―どこか儚げな雰囲気を醸すのだ。
男―ブシドー自身の世界観の反映なのか。
DG
LP
- Demotape/1999年
- King of KingZ/2001年
- Vom Bordstein bis zur Skyline/2003年
- Electro Ghetto/2004年
- Staatsfeind Nr. 1/2005年
- Von der Skyline zum Bordstein zurück/2006年
- 7/2007年
- Das Beste/2007年
CLP
- 030/キング・オルガスムス&ヴァーデル(Vader)/1998年
- Carlo, Cokxxx, Nutten/シドー&ビー・タイト/2002年
- Aggro Ansage Nr. 1/シドー&ビー・タイト/2002年
- Aggro Ansage Nr. 2/シドー&ビー・タイト/2003年
- Aggro Ansage Nr. 3/シドー&ビー・タイト/2003年
- Carlo, Cokxxx, Nutten 2/ババ・サード/2005年
- Ersguterjunge Sampler Vol. 1 - Nemesis/多数/2006年
- Ersguterjunge Sampler Vol. 2 - Vendetta/多数/2006年
- Ersguterjunge Sampler Vol. 3 - Alles Gute kommt von unten/多数/2007年
SP
- Electro Ghetto/2004年
- Nie wieder/2004年
- Hoffnung stirbt zuletzt/共カサンドラ・シュテーン/2005年
- Schmetterling/2005年
- Nie ein Rapper/共ババ・サード/2005年
- Worldwide/2005年
- Endgegner/2005年
- Augenblick/2006年
- Gheddo/共エコ・フレッシュ/2006年
- Von der Skyline zum Bordstein zurück/2006年
- Sonnenbank Flavour/2006年
- Vendetta/共チャクザ&エコ・フレッシュ/2006年
- Janine/2007年
- Eure Kinder/共チャクザ/2007年
- Alles Verloren/2007年
- Reich mir nicht deine Hand/2007年
資料
- Bushido (rapper) - English Wikipedia
- Bushido (Rapper) - Deutschsprachige Wikipedia
- [ヨーロッパの中の日本] ミュージシャン編 - 渡り鳥主夫の今日は何処へ
- 本日のドイツ情報:ドイツのヤフー2006年度検索ワードトップ3は天気、エロ、地図検索 - エリカ・クローゼのドイツ的日常生活【blogゲルマニ】